科研費研究

 

 

科学研究費助成事業(学術研究助成基金助成金( 基盤研究(C)))

研究課題名: 言語・コミュニケーションにおける場の理論の発展:近代社会の問題解決を目指して

研究期間: 平成26年度 ~ 平成28年度

研究代表者:大塚正之(早稲田大学法学学術院教授)

研究分担者:井出祥子(日本女子大学文学部客員研究員)、岡 智之(東京学芸大学留学生センター教授)、櫻井千佳子(武蔵野大学環境学部准教授)

連携研究者:小柳昇(東京外国語大学国際日本研究センター研究員)、河野秀樹(目白大学外国語学部准教授)

研究目的:

本研究の目的は、わが国に古くからある場の考え方が持つ普遍的性質(場の理論)に立脚し、言語及び非言語を含めたコミュニケーションの本質を明らかにすることにある。すなわち、近代の要素還元主義的な科学の限界を超えるものとして、現代物理学、現代脳科学を踏まえた場の理論、複雑系科学が明らかにした場における自己組織化システムに立脚した新しい科学の方法論を提示し、かつ、これに立脚した場の言語学を構築・発展させ、日本語と英語の構造的差異を明らかにすることにより、日本人の英語教育、外国人に対する日本語教育にも資することを目的とする。

(1)研究の学術的背景

本研究の背景には、わが国にある場の思想(西田哲学、中村雄二郎の場所論、城戸雪照の場所の哲学、清水博の場の思想、禅を始めとする仏教思想)及び物理学(interaction in field)、生物学(多田富雄の超システム等)、脳科学(リベットの場等)などの科学における場の理論がある。また、西欧の場の視点を含む思想(Merleau-Pontyの身体の現象学、Heideggerの共同存在論、構造主義に含まれる反主体の思想など)も背景にある。本研究は、これらの背景事情のもとで、場と言語・コミュニケーションの関係を、平成23-25年度の言語コミュニケーションにおける場の理論の構築(基盤研究(C)、以下「前研究」という。)で研究した成果を踏まえて、さらに発展的研究を行う。すなわち、近代社会は、主観と客観とを分離し、自己と他者とを分離し、人間と自然とを分離し、後者から独立した自我主体が個として活動する世界として構築されてきたのであるが、このようなデカルト的二元論が誤りであることが次第に自覚され、これを超える思想や科学が模索されている。その中で、場の理論は、場の中における主客の相互作用、自他の相互作用、人間と自然の相互作用として、これを一元的に捉える考え方であることを前研究において明らかにしてきた。その意味において、要素還元主義とデカルト的二元論に立脚する近代思想を超えるものであり、多様な思想や科学の方向性が今、場の視点を取り入れつつある。このような非分離性は、まだ十分には意識化されていないものの、西欧においても次第に自覚されつつある(例えば、Jürgen Streeck“Embodied Interaction”2011、Michael Tomasello“Why we cooperate”2009、Charles Goodwin“A competent speaker who can’t speak: The social life of aphasia”2004など)。また、「場」の基盤には、複雑系の科学がある。複雑系科学では、自然界は全体の相互作用の中で自己組織化する存在であり、生命体も複雑系であって、場の中で相互作用する存在であることを明らかにしてきた(Erich Jantsch“The Self-Organizing Universe”1980, Stuart Kauffman“Origins of Order: Self-Organization and Selection in Evolution”1993)。個々の細胞が細胞として独自に自存しながら、その個体(生命体)という場の中で全体と相互作用しながら活動するのと同じように個体は個体であるとともに種(類)という場の中で全体と相互作用しながら活動する存在であり(清水博はこれを「二重生命」と名付ける)、また、自己組織化のプロセスは、個と全体とが相互に作用しながら即興劇的に起きてくるもので、その意味で数学的に解析できない。このことは、言語・コミュニケーションについても当てはまると考える。

(2)研究期間内に何をどこまで明らかにするのか 

これまでの言語研究は、物体をそれが置かれている場から切り離してその物性を研究し、また、生命体からいくつかの細胞を取り出して研究してきたように、言語を、それが語られる場から取り出して、その文法構造や意味内容を研究してきた。しかし、このような研究方法には限界があり、物理学では、場の中でどのように物質が振る舞うのかをとらえ、生物学では、生命体の中でどのように細胞がそれを取り巻く生体環境と相互作用しながら活動するのかをとらえる研究へと次第に発展をしてきている。本研究は、それと同じように、発話の場(環境)に焦点を当て、その場から切り離さないで言語やコミュニケーションの成り立ちを研究しようとする。

井出は、本研究でさらに、映像データで日本語の談話現象を英語データとの比較により観察し、日本語に顕著に現れる談話現象である「うなずき」「あいづち」「くりかえし」「問いかけ」「人称詞省略」等について場の言語研究の観点から考察し、これらの現象が、場の中における自己組織化の現象として起きているメカニズムを解明する。それには、清水博(2000)による場の理論的モデルである二重生命、即興劇、内的視点、暗在的コミュニケーション等の仮説を援用する。

岡は、認知言語学の中で使われている場に関連した道具立てを「場の言語学」の中で位置づけ直し、日本語の広範で具体的な言語現象の解明に生かしていく。また、認知言語学で言われる「主観的把握」「客観的把握」といった事態把握の考え方が、「主客分離」に立っていることを批判しながら、それを場の観点から位置づけ直し、発展させる。さらに、こうした成果を言語教育、特に日本語教育の場に応用し、教科書や教材の作成に生かしていく。

櫻井は、言語獲得研究として、自他非分離の概念を示していると考えられるデータを分析する。特に日本語の母子のデータにおける「場の中に入り込んだ」言語表現の獲得をみていくことによって、日本語の獲得の基底にあると考えられる「場」に基づいたものの見方について解明する。また、これを出発点として、同様の「場」の考え方が、他言語には適応できないか考察する。

大塚は、以上の各研究を場の理論全体からまとめ、また、コミュニケーションの成立のためには、具体的に語られる場における様々な要素(話し手と聞き手の体験、両者の社会的関係性、状況、言語における発話の仕方、表情や手などの身体の動き、無意識的脳活動など)が関係しており、その場が異なると、全く同じ言語が使われても、全く違った意味を持ち、また、コミュニケーションのずれを引き起こすことを明らかにしていく。

(3)(a) 本研究の学術的特色と独創性

西欧の言語学は、言語の普遍性を求めて、西欧の言語に当てはまるものが普遍的であるとして、日本語をはじめとする非西欧的な言語にもこれを当てはめてきた。その結果、日本語など非西欧的言語の特有性が言語学において死角に追いやられ、説明が十分にできなかった。本研究分担者である井出が「わきまえ」という場の言語学におけるポライトネスの概念を提唱することにより、これが欧米のポライトネスと異なることを明らかにし、西欧も、その存在を認めるに至った。本研究の特色と独創性は、(ⅰ)近代の言語学の枠組みを超えて、主観と客観、自己と他者、人間と自然とは場においてつながっており、相互作用するとの基本的な理解に立脚すること、(ⅱ)言語やコミュニケーションを具体的な場から切り離さないで、話し手や聞き手が生まれてから現在に至るまでの経験、相互身体性、両者が置かれた空間的時間的状況、しぐさ・表情などの身体的表現、声の調子なども場における諸要素の一つとして捉え、その言語の意味やコミュニケーションの成り立ちを研究すること、(ⅲ)これらの研究を通して、近代の要素還元主義に立脚した近代科学を超えた新しい科学の枠組み(主観と客観、自己と他者、人間と自然が相互作用する場を対象として科学的メスを入れる)を提示し、デカルト的二元論を超えた新しい科学の在り方を示す言語・コミュニケーション研究のモデルを世界に向けて発信する。以上のような諸点に本研究の学術的な特色があり、独創性がある。

(3)(b)予想される結果と意義

上記のような言語の実証研究を通じて、①日本語と英語の談話の差異が場における自己組織化の差異として明らかになること、②日本語の自然な姿及び西欧と異なる広範な言語現象が場の視点から明らかになること、③乳幼児が言語を獲得する際に自他非分離的な場の働きがあることが明らかになること、④言語・コミュニケーションを、広く場における相互作用及び複雑系の自己組織化現象として捉えることができることなどが結果として予想される。そして本研究は、①物理学や生物学と同じように、言語をそれが語られる場から切り離さない視点を取り入れることで、さらに言語学の幅を拡張できること、②言語やコミュニケーションが言語以外の諸要素と巧みに絡み合いながら自己組織化する現象をシステムとして明らかにできること、③、日本語と英語など言語間の差異を場の言語・コミュニケーションから説明することで、日本人の英語教育などの外国語教育、また、外国人への日本語教育にも貢献できること、ひいては④言語相対主義を場という視点から解明すること、そして、⑤近代社会の特質である要素間の因果関係のモデルに対し、場と個物とが相互に作用するモデルを提供し、近代を超えた新しい科学的考え方を世界に提示をすること、以上のような諸点にその意義がある。

 

 

科学研究費助成事業(学術研究助成基金助成金( 基盤研究(C)))

研究課題名: 言語コミュニケーションにおける場の理論の構築:近代社会の問題解決を目指して

研究期間: 平成23年度 ~ 平成25年度

研究目的:

本研究の目的は、我が国に古くから在る場の思想が持つ普遍的な性質としての場の理論を明らかにし、場の理論に立脚して言語と非言語を含めたコミュニケーションの本質を明らかにする。これにより日本人の英語教育、外国人の日本語教育、裁判における事実認定などに応用できる場の言語学の基礎理論の構築を目指す。また、これを内外に発信することにより、現在の言語学以外の要素還元主義的な科学の在り方に対し、場の理論と密接な関係を持つ複雑系を考慮した新しい科学の在り方を明示する一つの礎石を提供する役割を果たすものである。

(1)研究の学術的背景

本研究は,我が国にある場の理論(西田哲学、中村雄二郎、城戸雪照らの場所の哲学、清水博の場の思想、禅を始めとする仏教思想など)のフレームの中で言語的コミュニケーションを考察するものである。場の理論は、近代の要素還元主義の限界を超える視点を持つもので、欧米の思想にも場の視点を含む思想(メルロ=ポンティの身体の現象学、ハイデガーの存在論、フーコー、ピアジェ、レヴィ=ストロースの構造主義に含まれる反主体の視点)がある。また場の言語学の背景には、動物のコミュニケーションについての研究(ヴァールの共感性の研究、動物行動学における霊長類のコミュニケーションの研究など)がある。本研究は、これらの背景事情のもとで、場と言語の関係の基本構造を明らかにし、理論的・実証的に構築された場の言語学の基礎理論が、英語教育(幼児・児童を含む)、外国人への日本語教育、法学における事実認定論などにどのように役立つのかを具体的に考察し、ひいては、それが広範な分野で応用可能なものであることを明らかにしようとするものである。場の言語学に関しては、語用論の視点から、これまでに井出らが明らかにした平成18・19年度科学研究費基盤研究B『文化・インターアクション・言語に関する実証的・『解放的』理論の展開』などを始めとする一連の場の言語学研究があるが、本研究は、それとは異なり、上記の場所論の背景のもとで、各研究分担者が蓄積している言語コミュニケーションに関するデータを用いて、場の言語学の基礎理論を構築することを目的とするものである。

(2)研究期間内に何をどこまで明らかにするのか 

  これまでの言語研究は、場の中で語られる言語を、それが存在する場から切り離して研究するものが中心となっている。それは、ちょうど物質を場から切り離して探求するニュートン力学的な方法と言ってよい。しかし、物質は、場の中にあり、それだけが独立して因果に従って変化するのではなく、場における相互作用として存在していることを場の量子論は明らかにしてきた。言語もまた、ヒトが生きて行くために場の中で語られるものであり、場における相互作用として考えなければ、正確な理解を得ることができないと考える。本研究では、言語を、それが語られる文化的、日常的、身体的、無意識的、非言語的なインターアクションの場の中において、その構造を明らかにする。そして、それにより、日本語が欧米の言語と異なる特質を有しているのは何故なのか、何故世界に多様な言語が存在し、言語の基盤が異なると翻訳や言語習得が困難になるのは何故なのか、言語は他のコミュニケーション方法とどのような関係に立っているのかなどの点についても明らかにする。例えば、西欧では、誰かが戦争を始めて、終結させるとして主語を明示して表現をするが、日本語では、戦争が始まり、戦争が終わると言う。誰かが戦争という「もの」を始めるというのではなく、戦争という「こと」が起きると考える。ある場においてある「こと」が生起するのであり、誰かが何かをするというように分析して表現しないことが多い。敬語は、それぞれの社会的な立場に応じて変化する。その場に就く個人から離れて、ある社会的な場(例えば学生)にいる人が別の社会的な場(例えば先生)にいる人に対し、どのように表現をするのかが決まっているのが敬語であり、それは場を考えない丁寧な表現とは性質が異なる。このような敬語表現を、場を意識せず、丁寧な表現として考える欧米の言語とは同視できない。そして、それは言語だけではなく、着席する場所(宴会の席順、自動車の乗車位置)等においても現れており、そうした非言語的な場所と敬語表現とは密接な関連性を持つ。以上のとおり、こうした非言語的視点を取り込むことにより、言語を場における一つのコミュニケーション手段として捉えることが可能になる。本研究は、このように非言語的な場の中から言語が形成される基礎理論を構築し、これに基づいて、英語教育、外国人の日本語教育などに応用する。

(3)(a) 本研究の学術的特色と独創性これまでの言語の研究は,西欧の言語理論を普遍的なものとして日本語の言語現象に当てはめてきた結果として、日本語の特殊性が無視され、説明できない部分が多く残されている。その理由は、言語を、それが語られる場から切断して、普遍的なものとして取り扱うことに起因すると考えられる。本研究は、(ⅰ)言語を場から切断せず、むしろ、言語は、それが語られる場における非言語的なコミュニケーションとの相互作用として形成されていると理解する。言語の本質を明らかにするためには、この非言語的な暗在系としてのコミュニケーションと一体的に存在する場を明らかにする必要があると考える。また、認知言語学においては、言語だけではなく、人の認知機構を考察の対象とするが、そこで考慮されているのは主に個体内部の認知機能と言語との関係である。本研究は、(ⅱ)個人の認知機能を踏まえた上で、更に相互身体性とも言うべき人と人との非言語的なインターアクションが行われる場を研究対象としている点に認知言語学の枠内にとどまらない特質がある。また、それを個別に研究するのではなく、(ⅲ) 日本における様々な場の理論、特に西田哲学や中村雄二郎の場所論を前提としながら、最新の物理学、脳科学の知見を踏まえて考察された研究代表者の著作『場所の哲学』(文芸社・城戸雪照2003:城戸雪照は、研究代表者のペンネーム)における場の一般理論に基づいて、近代社会の要素還元主義的な思考、主観と客観との二元論的な思考の限界を超える新しい理論体系として、一つのモデルを提供し、これを社会的に有用な言語教育や言語が使用される社会的な場の理解に活用することを目的とする。以上のような諸点に本研究の学術的な特色があり、他の研究にはない独創性がある。

(3)(b) 予想される結果と意義私たちが言語を習得し、これを使うようになる背景には、長い年月にわたるヒト以前の暗在系としての非言語的なコミュニケーションがあり、ヒトは、暗在系のコミュニケーションを引き継ぎながら、明在系としての言語を習得し、両者を有機的、一体的に使うことによって、実際の現実的なコミュニケーションを可能としていることが明らかになることが期待される。また、コミュニケーションにおける暗在系と明在系との構造的差異が言語構造の差異をもたらし、言語の多様化を引き起こす要因となっていることも明らかにできると考えている。そうした結果が得られることにより、言語的コミュニケーションだけを取り出して他の言語に翻訳するよりも、その背後にある非言語的なコミュニケーションを併せて考えることによって正確な翻訳が可能となるほか、英語の習得においても、日本語と英語における暗在系の差異を自覚したうえで行うことができ、効果的な学習が期待される。また、そうした諸結果は、ヒトの意識的な個としての行動の背景には、無意識的な共同行動が存在していることを明らかにするのであり、近代社会の特質である個と因果関係を基軸とする理論から脱出し、場と相互作用を基軸とする理論へと向かい、近代を超克するための新しいモデルを提供する。言語コミュニケーションにおける場の理論を構築することは、近代科学の限界を超えるために不可欠な理論的支柱を提供する役割を果たすことができるのであり、そこに本研究を行うことの実践的な意義がある。